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2011年 09月 11日
2001年9月11日
なんという恐ろしい悲惨なできごとだったろう 罪のない多くの方々が亡くなられたテロによる死者・行方不明者は、ハイジャックされた旅客機の乗員・乗客が計266名(うち日本人2名)、世界貿易センター地区で2801名(うち日本人24)、国防総省で184名の合計3251名(うち日本人26名)となっている。 ご冥福をお祈りいたします http://gigazine.net/news/20110909_9_11_anniversary_pillars/ 3.11は自然災害+人工災害 一体何万人の方々が亡くなられたのだろう 祈る気持ちを続けよう 野沢富士子さんより・・・・・・ 福島県石川町の戦時中のウラン鉱石発掘で核爆弾を作る計画が日本にあったことなぞ 私は知りませんでした。 被害者も加害者にもなりえるのが私たち愚かな人間です。 今回の原発事故も皆が程 度こそ違っても加害者であり被害者であるのではないでしょうか。 なんとも切ない不条理な世界に私たちは身をおいているのですね。 野沢富士子 ヘラルド翻訳No.29 2011・9・7 福島でほとんど思い起こすことのない過去の核の野心 石川 日本 発 記者名 Martin Fackler アリガ キワムさん81歳はその年にもかかわらず、かくしゃくとした歩みで実りを迎えている田んぼの畦道を歩き、樹が茂っている急な丘のふもとの黄土色をした石が沢山ある所にたどり着いた。 まさにここが第二次世界大戦終末時中学生だった彼と級友たちが草履をはいて足に血を滲ませながら石集めをさせられた場所であった。 兵士たちが学生に命じたのは茶や黒色の混じった石を集めてくることだけであった。 ある日一人の兵士がとうとう何のための石集めかを説明したとアリガ氏は当事を振り返って話した。 “君たちが掘り出している石で軍はマッチ箱の大きさの爆弾をつくり、それでニューヨークを吹っ飛ばすことができるのだ” 彼は終戦後何年もの間、軍が核爆弾を秘密裏に製造しようとしていたことの詳細を知ることは無かった。 “自分たちは半分裸足で放射性ウラニュームを掘らされているのかなど全く分からなかった、そしてその後66年もたった今また放射能汚染にさらされているのだ”と。 ここは緑の山々に囲まれた人気の無い鉱山の町で場所は福島県、そして県の名前のついたいまだに放射能を放出しつづけている原発が立っている場所がここから車で北東一時間の所である。 大惨事がおきたのが3月11日の地震と津波の後でアリガさんを含む年寄り達が話すことは福島の名前が原発事故の代名詞になったことと、あまり知られてはいない暗い原子力に関わる昔の話である。 この石川の町でウラニューム鉱石を掘り出す仕事をさせられた戦時中中学生であった人々はすでに80歳を過ぎているのだが、最近になってこのことがニュースにとりあげられメディアに出ることが増えてきのだ。 話題になることを嫌う人もいるのだがこの負の歴史をこの場所から語ろうとするものもいるのだ。 “もしかしたら今回のこの福島の不運な使命とは原子力の危険に対して警告をはっすることかもしれない”と語ったのは石川にあるわずか一部屋の中でほこりをかぶった名札がついた鉱石を展示している鉱物博物館でヴォランティアとして働く年金受給者でアマチュア歴史家の橋本さんである。 彼は博物館で1945年に帝国陸軍がウラニュームの鉱石を掘り出し精製技術を開発して核爆弾製造をすることを説明するパネルの前に立った。 戦時中マンハッタン計画と呼ばれた米国の核爆弾開発とくらべて歴史家でもあるハシモト氏は日本での計画は二つあったことを説明した。 帝国海軍には別の独自の計画があったのだが、海軍内部からその規模の小ささと思いつきのような計画に対して疑問の声があがり資源不足と許可をえることも難しく中断となった。 橋本氏が説明をしている時にサイレンが鳴り響いた。 それは原発事故後にこの人口18,000人の町に設置された非常時対応システムで定期的にチェックするために鳴らされたものであった。ここから福島第一原発までは距離で58kmである。 町役場によれば事故によって風によって流れてきた放射線量を定期的におこなっているが、そのレヴェルは高くはなく健康に影響はないといっている。 しかしこの直面している困難があまりにも膨大なために人々の注意をひき、町の人々も知らなかった戦時中の核爆弾製造の試みが明らかになってきたといういうのはなんとも逆説的ではないか。 この計画は戦後すぐ明らかになったのだが、数十年もの間この石川の町の関わりが公になることはなかったのは戦後の経済成長期において過去の戦争は脇に追いやられてしまったからである。 1990年代に入りより戦時中のことが世にしられるようになってきてこの日本の核爆弾製造計画の内容があきらかになってきたのだ。 しかしアメリカによって広島と長崎に原爆を落とされた日本としては核の被害国という立場を貫くためこの計画があったことはいとも簡単に忘れ去られてしまったのだ。 アリガ氏は最近になって地域の学校で話を始めたのだが、ほとんどの人が日本も核爆弾製造計画をたてていたことを聞くと驚くと言う。 “もし成功していたら日本も必ず使っていたと思うと”付け加えた。 歴史家達は日本では設計段階にも至って無く、ましてや核爆弾製造など出来なかったと言っている。 戦時中には努力してもそれを成功させることはできなかったではないのか。 石川では戦時中およそ130人の子供たちがウラニューム鉱石発掘に従事させられたのは成人男子はすべて兵役に採られていたからである。 みつかった鉱石はわらで編んだ紐にいれられ、今では鉱石博物館となっている場所にたっていた806工場に運ばれた。 そこで鉱石は黄色のケーキ状に精製され、これをパウダー状態にしてウラニュームを兵器級の爆弾に製造することであった。 歴史家はこの工場ではわずか3kgのイエローケーキ(粗精錬のウラン鉱石)しか作られず、爆弾をこの量でつくることは不可能であったと語った。 “石川は核爆弾を子供たちを使って製造するというばかげた不完全な計画の象徴である”と述べたのは歴史家で日本の核爆弾計画に関して発表してきたホサカ マサヤス氏である。 戦後何年かの間ウラン鉱山のことはだれも口にしなかったと住民は述べた。 また付け加えて幸運にもだれもその作業での被爆から病に伏したものはいなかったと言う。 しかし多くの住民が広島、長崎の被爆者たちが味わった差別を恐れたとも述べたのだ。 原爆の生存者たちは放射線が接触感染すると信じた人人からの差別で結婚や就職を否定されたのであった。 “この鉱山のことは町の秘密であった”と語ったのは81歳のマエダさんで彼もウラン鉱石の仕事に携わったのであった。 このマエダ氏もアリガ氏も石川の地で戦後教師の職を得たのだが、この件に関する沈黙は二人が退職をして戦時中を振り返る時間が出来た20年前まで続いたと述べたのだ。 1993年二人は金を出し合って石川での核爆弾計画についての本を自費出版した。 200年前に建てられた農家の先祖の黒白写真が掲げられた部屋のたたみに座ったアリガ氏は、戦時中の爆弾計画と日本の現在の原発危機の類似に怒りをあらわにした。 最大の類似は両方とも傲慢なリーダーと言われるものたちに騙されたことだと言った。 戦時中軍の将校たちは日本が神の国であると自分たちで作った宣伝活動の内容を信じ、精神力で敵を打ちのめすことができると考えていたため、爆弾製造にも遅れをとったとも言えるのだ。 現在になって福島第一原発事故が明らかにしたのがまたもや日本は道を誤ったということで、今回は経済を第一にもってくることから安全神話が生まれ、日本の技術を過信したことにあるのだ。 “自分たちは戦時中は洗脳され、戦後もまた洗脳されたのだ”とアリガ氏は言う。 “三回目はもしかしたら賢くなれるのかもしれない”。 野沢富士子
by sensenci02
| 2011-09-11 00:13
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